お正月休みもなんだかあっというまに過ぎて、今日は今年の仕事はじめ。 今年もまたぼちぼちと、ガンバッていきましょ〜! …とは言うものの、ここしばらく朝寝のくせがついていて、 久しぶりの早起き(といっても6時半頃…^-^;)がつらかったさくらでした。 年明け早々忙しくなるのかな??と心配していましたが、 わりと平和なペースでした。 (コレはやっぱり、木・金あたりが嵐かな!?) おなじみの患者さんたちも、それぞれになごやかなお正月を過ごされたようで、 ホッとしています。 なかには、入院されている親ごさんの病院とご自宅を行ったり来たりだった、 という大変な方もおられましたが…。 つい先日、このページをみて連絡をくれた学生時代の友人。 びっくりしたことには、彼女も私と同じく子宮がんで、 私より数年前に手術を受けたという。 その後、2度の再発をし、 放射線治療と化学療法をも受けたと。 でも、今は仕事にも復帰でき、元気に過ごしているということなので、 ひと安心している。よかった! 今のところ手術だけで治療がすんでいて、 これまた今のところだが、病気の再発の兆候のない私以上に、 彼女は苦痛な治療や、死への不安にたえてきたことだろうと思う。 それに、彼女には、ふたりのこどももいるから… よけいに、「死ねない」「生きたい」 という思いは切実だっただろう。 だが、その思いが生きるべき大きな支えになったこともまた確かだろうと思う。 病気になってから、「がんばる」という言葉がきらいになった、という彼女。 彼女のいう、「ぼちぼちいこか」ペースで元気にやっていってほしい。 ちょっとチカラをぬいて、余裕をもって 「ぼちぼちいこか」 それでいい。 きっと彼女は、ガンバルべき時にはがんばってきたはずだし、 これからもそうしていくだろうから。 ところで、 こどものいない私、こどもをもてないことが確実な私は、 確かにある意味では不運だし、人からは「不幸」だと思われるかも知れない。 でも、逆の意味では、 「残しては死ねない」といえるほどのものをもっていない私は、 この(悪性の)病気になったことで彼女以上には苦しまなかったのかも知れない。 (もちろん、親たちや夫のことが気にならないわけではないけれど、 すくなくとも、私が守らなければならない存在である子はいない) いい・わるい、幸・不幸ではなくて、 人はそれぞれに、ほかの人のものとは違う、自分だけの荷物の重みを感じて 生きてゆかないといけないのだろう。 ただ、誰にとっても言えるのは、 よりよく生き、より幸せになろうとすることはできる ということだと思う。 だから、いつも自分らしく、 自分に課せられた荷物から逃げることなく、 どうしたらよりよく生きられるのか、と考えたいと思う。 誰でもみんな、自分以外の人の人生は歩めないもんね。 すべてのことを経験できるわけではないものね。 だから、 こどものいる親の気持ちや悩みを、本当の意味では実感できない私もいれば、 こどものいない人の気持ちや悩みを実感できない人もいて当然。 それでも、友達にはなれる。お互いにこころをひらけばね。 がんになったことで味わう感情もあれば、 がんになったことがないけれど、なった人のことを理解したいと願う感情もある。 出産の時、普通分娩で産んだ人が、 いろいろな事情があって帝王切開で産んだ人に対して、 「あなたは産みの苦しみを知らないから…」 なんて言う例があったりするらしいけど、ナンセンスだよね。 じゃあアナタは、普通分娩で産むことができなかった人の苦しみがわかるのか? ということ。 人はみんな、あることを経験することででも、 経験しないことででも、何かに悩んだり、苦しんだりするもの。 自分の経験しなかったことは、体感できない。 なにかを経験してしまえば、しなかった時の自分とは違う自分になる。 だからこそ、 自分以外の人の語ることに、耳を傾けたくなるんじゃないかな。 いろいろな人と関わることが、楽しいんじゃないかな。 他の人の人生や、その人自身を尊重したいと思うんじゃないかな? 他人と関わらなければ、自分の姿もみえないし… 人は自分を映す鏡だ、っていうものね。 私は私なりに、友人にとって、ものをよく映すいい鏡でありたいと思うし、 友人の鏡に、素直な自分の姿をみいだしていこうと思う。 なんというか、いびつでゴツゴツしたところもたくさんある私ですが、 今年もお見捨てなくおつきあい下さいね。 親愛なる友人のみなさまへ、さくらより 次(1月12日の日記)へ 日記TOPへ TOPへ